いよいよ官兵衛ゆかりの地めぐりです。
まずは赤壁寺と言われている合元寺へ
通称「赤壁」といわれるこの寺は、天正15年(1587年)、
黒田孝高に従って姫路から中津に移り住んだ浄土宗西山派、
開山空誉上人が開基したと伝えられています。
黒田氏が前領主の宇都宮鎮房を謀略をもちいて
中津城内で暗殺した際、その従臣らがこの寺を
拠点として奮戦し最期を遂げ、以来、
門前の白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、
ついに赤色に塗り替えられるようになった、
というのがこの赤壁の由来となっています。
(オフジシャルホームページより抜粋)
よく見ると柱などに刀キズがあったりします。
観光地というよりひっそりとした佇まいでした。
道も狭いし、駐車場も水たまりだらけの
土がむき出し、普通の小さなお寺でした。
まずは赤壁寺と言われている合元寺へ
通称「赤壁」といわれるこの寺は、天正15年(1587年)、
黒田孝高に従って姫路から中津に移り住んだ浄土宗西山派、
開山空誉上人が開基したと伝えられています。
黒田氏が前領主の宇都宮鎮房を謀略をもちいて
中津城内で暗殺した際、その従臣らがこの寺を
拠点として奮戦し最期を遂げ、以来、
門前の白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、
ついに赤色に塗り替えられるようになった、
というのがこの赤壁の由来となっています。
(オフジシャルホームページより抜粋)
よく見ると柱などに刀キズがあったりします。
観光地というよりひっそりとした佇まいでした。
道も狭いし、駐車場も水たまりだらけの
土がむき出し、普通の小さなお寺でした。