合元寺と中津城 [2014中津別府の旅]
いよいよ官兵衛ゆかりの地めぐりです。
まずは赤壁寺と言われている合元寺へ
通称「赤壁」といわれるこの寺は、天正15年(1587年)、
黒田孝高に従って姫路から中津に移り住んだ浄土宗西山派、
開山空誉上人が開基したと伝えられています。
黒田氏が前領主の宇都宮鎮房を謀略をもちいて
中津城内で暗殺した際、その従臣らがこの寺を
拠点として奮戦し最期を遂げ、以来、
門前の白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、
ついに赤色に塗り替えられるようになった、
というのがこの赤壁の由来となっています。
(オフジシャルホームページより抜粋)
よく見ると柱などに刀キズがあったりします。
観光地というよりひっそりとした佇まいでした。
道も狭いし、駐車場も水たまりだらけの
土がむき出し、普通の小さなお寺でした。
まずは赤壁寺と言われている合元寺へ
通称「赤壁」といわれるこの寺は、天正15年(1587年)、
黒田孝高に従って姫路から中津に移り住んだ浄土宗西山派、
開山空誉上人が開基したと伝えられています。
黒田氏が前領主の宇都宮鎮房を謀略をもちいて
中津城内で暗殺した際、その従臣らがこの寺を
拠点として奮戦し最期を遂げ、以来、
門前の白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、
ついに赤色に塗り替えられるようになった、
というのがこの赤壁の由来となっています。
(オフジシャルホームページより抜粋)
よく見ると柱などに刀キズがあったりします。
観光地というよりひっそりとした佇まいでした。
道も狭いし、駐車場も水たまりだらけの
土がむき出し、普通の小さなお寺でした。
2014-12-27 17:32
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